京都の総合学習塾 立誠学院グループ

塾長からのメッセージ
塾長からのメッセージ
「かける思考」
私の大好きなお話があります。考え方には4つあるというのです。
「−」「÷」「+」「×」。この4つの考え方があると・・・。
例をあげます。
10−10=0、10÷10=1、10+10=20、10×10=100
まず「−」。10−10=0
マイナス思考なら答えは0です。
「÷」。10÷10=1
まあ、この程度でいいでしょって割り切る考えなら答えは1。
「+」。10+10=20
しかし、プラス思考なら答えは20。2倍になります。
では最後に「×」(かける)。10×10=100
「私は、これにかける!」
そういうものに出会えたなら結果は10倍になります。
「これにかける!」
そんな気持ちで打ち込めるものに出会えたら、
可能性は10倍に広がります。

「一生涯をかけるにふさわしいもの」
子どもたちには、将来、
そんな職業や仲間に出会ってほしいものです。
「悟る」
悲しみに沈んでいる…。悩み苦しんでいる…。
そんなあなたにお願いがあります。
その悲しみから、逃げないでください。
その苦しみから、逃げないでください。
悲しみを、早く終わらせようとしないでください。
そんなに簡単に悩むのをやめないでください。
悲しみを深く感じてあげてください。
悩んで悩んで悩みぬいてください。
きっと、その先に悟りが開けます。
お釈迦様の場合のような諸衆救済といった大きなものだけが、悟りではありません。
あなたが、悲しみと向き合い、とことん悩みぬいた先にたどりついたもの。
それが、あなたの悟りなのです。
そして、あなたの悟りは、
あなた自身とあなたの大切な人たちを幸せにするためのものなのです。
いつも楽しい…ではほんとうのしあわせには出会えません。
悩んで苦しんで、たくさんのつらさを経験してはじめて、生きる喜びを知るのです。

ほしいものが全ては手に入らない状態
それがしあわせの条件なんです。
「親の愛」
「愛」の反対はなんでしょうか?
心理学では「愛」の反対は「無関心」なのだそうです。
自分の子どもに関心のない親なんて世界中どこを探してもいません。
親はいつでも子どものことをよ〜く見ているもんですよね。
知っていましたか。親指のひみつ。
人差し指という長男・長女、中指という次男・次女、
薬指という三男・三女、小指という四男・四女、
親指だけが子どもの方を向いていますね。
親はいつも子どもを見ているのです。

ひな鳥は親鳥が大空へ飛び立つ姿にあこがれます。
教育とは、子どもたちに何かを求めることではありません。
私たちおとなが魅力的であるために努力を絶やさぬこと、
それが教育の原点です。
ひとを育てるのもまた「ひと」なんです。
「子どもに望むこと」
「テストでいい点を取って欲しい」「いい大学を出て欲しい」
「将来、医者になって欲しい」「それから・・・」
子どもが成長するにつれて、子どもに望むこともどんどん増えていきます。悪いことではありません。それが子どもへの期待のあらわれですから。
でも、思い出してみて下さい。子どもに初めて望んだこと。
お母さんのおなかの中で、まさにこの子が生まれるという直前、こう願いませんでしたか。
「とにかく健康で無事に生まれて欲しい」
その望みは叶いましたね。
これは当たり前のことではありません。奇跡なんです。
ないものにたいして執着するまえに、
今、目の前にある幸せに感謝しなければ、バチがあたってしまいます。
「願えば叶う」
学力低下、偽装、年金問題、長引く不況、増え続ける国の借金、大卒者の就職浪人、
口にしたことを守れないトップ。途中で投げ出す体制・・・。
これ全部大人がつくりだした世界。子どもたちには全く関係のないこと。
でも、そのせいで、未来の大人、つまり今の子どもたちが苦労をすることになります。 ごめんな、子どもたち。大人…ふがいなくて…。
こんな世の中にしておいて「夢を持て!」はないよな…。
でも、絶望する必要はありません。どんな世界だろうと、願えば叶います。
しんどくても、辛くても、逃げ出さずにジッと向き合って努力を続けると、夢は叶います。
水の上を優雅に泳ぐ白鳥も、水面下では必死にバチャバチャとバタ足をしているのです。

人生そんなもんです。何一つ簡単に叶う願いなんてありません。
一生懸命手を伸ばしてつかみ取るのです。不可能だとあきらめることは誰にでもできますが、
不可能なことに挑戦することは限られた人しかやりません。
「夢見ることができれば、それは実現できるのです。
いつだって忘れないでいてほしいーすべては1匹のネズミからはじまったということを。」
by ウォルト・ディズニー
鳥のように空を飛びたいという夢が飛行機を誕生させ、
鹿よりも速く走りたいという願いが地上の交通機関を生む原動力になったのです。
“非常識な願い”こそが、奇跡を呼ぶのです。

だから、まずは努力をしてみる。あきらめる前に。
成功が努力より先にくるのは、辞書の中だけ。
汗の分だけ、可能性の通路が開きます。
「人生って」
「みんなを教え導く、教育者として生きたい」
生まれてくる前に、私は神様にそうお願いした。
すると、神様はこう言った。
「わかった」
そうして生まれてきた私は……悪童だった。
そのうえワガママだったため、中学校を卒業するまで、親友と呼べるような友達もできなかった。
大人が嫌いだった。特に、学校の教師が嫌いだった。
高校の時、授業もろくに出ず、いつも教師に反抗していた。
だから勉強は全くできなかった。
学校をサボり、いつものお気に入りの場所へ。
寺の参道。そこで寝そべると、木の葉のすき間からちょうどいい具合にお日さまがあたる。
そして流れゆく雲を見ながらいつも悩んでいた。
「オレは何のために生まれてきたんだろうか」
「このまま死んでしまったら、誰か悲しんでくれるのだろうか」
あまりの孤独感で気が狂いそうになる。
そして時は流れる。
ある日、面白いことを思いついた。
「一番嫌いなことを仕事にしよう!」
学校教師と警察官。どちらにもいい思い出がない。
結局、教師を選んだ。
大学生になり、教育実習時に校長先生にこう言われた。
「キミは教師には不適切な人間だ。少なくとも私の目の届く範囲では教師はさせない!!」
そのとおりに、教師にはなれなかった。
教員試験合格率トップクラスの大学を首席で卒業したにもかかわらず……。
でもそんなことはどうでもよかった。
教育の場は学校だけではないからだ。
そして、塾講師の道へすすんだ。

あれから15年。 いま、私は、400名以上の生徒をかかえる学習塾の塾長をしています。
「みんなを教え導く、教育者として生きたい」
そう願った私の願いが叶うように、神様は私を教師嫌いになるように生んでくれました。
おかげで、どうすれば子どもにしたわれる教師になれるのか、
誰よりも真剣に悩むことができました。
おかげで、どうすれば子どもにわかりやすく勉強を教えられるのか、
誰よりも真剣に探求することができました。
おかげで、いま、こうして子どもを教え導くことができています。
大人嫌いだったこと。勉強が全くできなかったこと。教育実習で教師失格と言われたこと。
これらはすべて神様からの贈り物でした。
きっと逆なんだと思います。
「優しい人になりたい」
神様にそう願った人は、きっと苦しい環境をプレゼントされる。
その苦しさから、本当の優しさが芽生えてくるから。
人生で起こることは、私たちが本当に学びたいことを学ぶために起きている。
私はそう思っています。
生まれてくる前、皆さんも神様にお願いして生まれてきたのです。
そのとき、神様はこう言ったはず。
「わかった。お前の願いは必ず叶える」
あなたはいま、本当に学びたいことをちゃんと学んでいます。
だから、だいじょうぶです!
これまでも
これからも。
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